暮らしのそばに家庭医がいる ー岩倉駅前たはらクリニックの10年

 
 
「家庭医療を提供することで、目の前の患者さんや、その家族の“幸せ”に貢献したい」ーー。その想いを胸に、京都市左京区・岩倉の地で、10年にわたり地域に根ざした医療を実践してきた「岩倉駅前たはらクリニック」院長の田原正夫。
祖父の代から続く診療所で育ち、暮らしのすぐそばに医療がある風景を見てきた幼少期。専門医として病院で経験を積む中で感じた、地域医療への違和感。そして、自ら選んだ「家庭医」という新たな道。病気だけでなく、その人の背景や時間の積み重なりなど多面的に捉え、継続的に関わる診療を通して、子どもから高齢者、外来から在宅まで、地域の日常を静かに支え続けています。
この記事では、田原先生のこれまでの歩みとともに、岩倉の地で育まれてきた「滋味深い」医療のかたちに迫ります。これから地域で医療を実践したいと考えている方にとって、その一歩を後押しするヒントが詰まっています。
 

暮らしの中で育まれた原点と、医師としての歩み

―― まずは、医師を志されたキッカケについて教えてください。
 
振り返ってみると、やはり実家の環境が大きかったように思います。私は京都の出身で、祖父の代から続く診療所のある家で育ちました。私たちは診療所のことを「おもて」と呼び、その奥に生活スペースがある、医療と暮らしが自然につながっているような環境で過ごしていました。
父も祖父も、診療所での外来診療に加え、往診にも出かけながら地域の方々を診ており、その姿を身近に感じていました。生活スペースと診療所をつなぐ小窓越しに見える父の白衣姿や、夜中に黒電話が鳴って往診に出かけていく背中は、いまでもふと思い出すことがあります。
小学生の頃には、近所の家へ薬をお届けしたり、父に頼まれて書類をお渡ししたりと、医療の一端に触れる機会もありました。人の暮らしのすぐそばに医療があることを感じていたように思います。
そうした経験を重ねる中で、「人に直接関わりながら役に立てる仕事がしたい」と思うようになり、身近にあった医師という道を選びました。
祖父の代から続いた実家の診療所。当時使用されていた医療機器(写真提供:田原院長)
祖父の代から続いた実家の診療所。当時使用されていた医療機器(写真提供:田原院長)
 
―― 医師として歩み始めてからは、どのようなご経験を重ねてこられたのでしょうか。
 
1997年に医師免許を取得後、京都大学医学部附属病院の内科で研修を始めました。当時は現在のような研修医制度はまだなく、卒後すぐに専門科の医局へ入局(就職)するのが主流でした。その一方で、京都大学医学部附属病院では、1年目に大学内の各内科をローテーションし、その後は関連病院で2年間研修を行う体制が整えられていました。3年間かけて幅広い診療を経験しながら専門を選べる環境は、若手医師にとって非常に魅力的だったと思います。
私自身も、その中で多くの経験を積ませていただきました。大学での1年間の研修を経て、2年目からは大阪赤十字病院に移り、内科を中心に、小児科、麻酔科、放射線科、救急科など、幅広い領域をローテーションしました。
4年目以降も呼吸器内科や救急科の診療に携わり、その後、呼吸器内科の医師として赤十字病院に就職しました。当時は大学の医局に入るのが一般的でしたが、ご縁やタイミングもあり、病院に直接就職する道を選んだのです。
大阪赤十字病院では、多様な疾患に加え、社会的背景、生活環境、文化の違いも含めたさまざまなケースに向き合う中で、学びを深めていきました。忙しい日々ではありましたが、熱心な先生方や仲間にも恵まれ、その経験はいまの自分の土台になっています。
 

変わりゆく医療の現場で見つめた、地域医療への違和感

ーー 呼吸器内科医として病院で診療にあたる中で、とくに印象に残っている出来事や、感じてこられたことはありますか?
 
私が若手の頃は、ちょうど医療システムが大きく変わっていく時期でした。小泉内閣のもとで医療改革が進み、「入院期間を短くする」という方針が打ち出されたんです。
当時、呼吸器内科の平均在院日数は45日ほどあり、患者さんを最期まで一貫して診るのが当たり前でした。とくに肺がんは、いまのように治療の選択肢も多くなく、初期診断から終末期のターミナルケアまで時間をかけて向き合っていく病気でした。
それが一気に短縮され、外来での化学療法が進み、適応がなくなるとホスピスへ紹介する流れへと変わっていったんです。効率化が進む一方で、「最期まで診る」という関わり方は、次第に難しくなっていきました。
当時は地域連携の仕組みも整っておらず、転院先を探すために医師が電話をかけ続けることも珍しくありませんでした。専門の違いを理由に受け入れを断られることも多く、行き場を失う患者さんも生まれはじめていました。
地域の開業医は「患者さんを受け止めてくれる存在」だと思っていた私は、その現実に直面する中で、「地域で患者さんを支える医療とは何だろう」と考えるようになりました。
 
 
ちょうどその頃、父が体調を崩し、代わりに診療所を手伝う機会がありました。このときの経験は、いまでも強く印象に残っています。
私は、EBM(Evidence-Based Medicine:根拠に基づく医療)を重視して学んできた世代ですが、父の診療所では、祖父の代から続く診療がそのまま行われていました。薬の出し方一つをとっても自分が学んできた医療とは異なり、診療の風景そのものも病院とはまったく違っていたんです。
その現場に立って初めて、病院で学んできた医療と、地域の診療所で行われている医療との間に、大きな隔たりがあることを実感しました。もともと将来は診療所をやりたいという思いもありましたが、「このまま引き継ぐのは難しい」と感じるようになります。
一方で、呼吸器内科医として専門を深めていく道は、より細分化された領域を極めていく世界です。このまま専門医として進んでいくことには、どこか違和感を覚えるようになっていました。
自分の描く地域での医療をどうすれば実現できるのか、模索する日々が続きました。医師として10年目を迎える頃のことでした。
 
 
 

家庭医療との出会い、そして踏み出した新たな一歩

ーー 地域医療のあり方について考えを深めていく中で、「家庭医療」に出会われたキッカケについて教えていただけますか。
 
キャリアの転換に悩んでいた頃、体調を崩して入院することがありました。結婚して子どもも生まれたばかりの時期。病室の天井を見上げながら、「このまま専門医としての道を進んでいくのは、やはり違う」と感じた瞬間がありました。そのときの感覚に背中を押され、新たな一歩を踏み出そうと決意しました。
そこから、自分なりに情報を探し始めました。いまのように情報へのアクセスは容易ではありませんでしたが、アメリカで家庭医療を学んだ先生が大阪に戻ってきていることを知り、思い切ってメールを送ってみたんです。ご縁をいただき、診療の現場を見せていただく機会を得ることができました。
さらに、その先生から総合診療や家庭医療のコミュニティを紹介していただき、そこから一気に世界が広がっていきました。家庭医療学会やプライマリ・ケア学会などの存在を知り、学会に参加しながら理解を深めていきました。
そうした中で、家庭医を育てるプログラムが始まっていることを知り、岡山の奈義ファミリークリニックで研修を受けることを決めました。2008年、大阪赤十字病院を離れ、家族とともに岡山へ移り住み、家庭医としての一歩を踏み出しました。
 
岡山県北東部にある奈義町の風景(写真提供:田原院長)
当時はまだ家庭医療という考え方が広く知られておらず、「周囲からは驚かれることもありました」と田原先生。それでも、「自分の中で大切にしたい医療のかたちに近づいていく実感があり、その選択に迷いはありませんでした」と当時を振り返ります。
岡山県北東部にある奈義町の風景(写真提供:田原院長) 当時はまだ家庭医療という考え方が広く知られておらず、「周囲からは驚かれることもありました」と田原先生。それでも、「自分の中で大切にしたい医療のかたちに近づいていく実感があり、その選択に迷いはありませんでした」と当時を振り返ります。
 
ーー 都会から地方へ移り、家庭医として新たなスタートを切られた当時、どのような思いで日々を過ごされていましたか。印象に残っている出来事もあれば教えてください。
 
最初は正直なところ、家庭医の先生が何をしているのか、ぱっと見ただけではよく分かりませんでした。講義や実践を重ねる中で、「こんなに深いことをしているんだ」と少しずつ実感していきました。
よく「OSを入れ替える」と表現されますが、まさにその感覚でした。病院での医療の多くは臓器別に疾患を正確に診断し、治療していくことが中心です。臓器や領域ごとに専門が分かれ、検査や治療の精度を高めながら、その病気を深く掘り下げていきます。
一方で家庭医療は、多様な疾患をしっかりと診療していくことはもちろん、その人の暮らしや家族、地域、価値観、これまで歩んできた人生、そして地域との関わりまで含めて、一人の人間として多面的に捉え、継続的に関わっていく医療です。
同じ疾患の患者さんを診ていても、見ている景色そのものがまったく違う。それまで病院で学んできた医療とは、ものの見方や問いの立て方からして別物で、疾患だけでなく、その人の暮らしや背景まで含めて診ていく。それが、私にはとても面白く感じました。
 
 
研修の環境も大きな学びとなりました。人口6,000人ほどの町に診療所が2つしかなく、専門医に紹介するにも車で30〜40分かかるような地域でした。「専門科へ紹介します」と簡単には言えず、患者さんからも「ここで診てほしい」と言われる。家庭医療診療所として、内科に限らず幅広く診る経験を積むことができ、それが自分の力になっていきました。
さらに、多くの専攻医や医学生の教育にも関わらせていただきました。外部の指導医養成プログラムなどにも参加しながら、指導医としての経験を重ね、自分自身も成長していくことができたように思います。
 
また、地域によって医療のあり方や価値観が大きく異なることにも気づかされました。関連病院で当直していたある日、亡くなられた方をご家族が自家用車で迎えに来られ、「大変お世話になりました」と言って、そのままご自宅へ連れて帰られた場面があったんです。最初は驚きましたが、その光景から、地域の暮らしの中に「死」が自然に受け止められていることを感じました。
都市部では当たり前だった救急搬送や高度医療も、この地域では必ずしも望まれるわけではありません。どこまで治療を受けるのか、どこで最期を迎えるのか。患者さん自身がその答えをもっている場面にも多く出会いました。
都市部の大きな病院にいるだけでは見えなかった世界に触れられたことは、自分にとって大きな転機だったと感じています。
 
家庭医療の学びを深める場での一枚(写真提供:田原院長)
家庭医療の学びを深める場での一枚(写真提供:田原院長)
 
 

自分の描く医療をかたちに

―― 岡山で家庭医として経験を積まれた後、関西に戻られ、開業へと至られたと伺いました。その背景や歩みについて、お聞かせいただけますか。
 
2012年に父が急逝し、岡山から京都に通いながら父の診療所の整理をしていました。その際、長く支えてくださっていた方々から「新しくやるなら、若先生のやりたいように」と背中を押していただいたんです。その言葉に支えられ、父の診療所には一度区切りをつけて、新しく立ち上げることを決意しました。
京都で働くことを考えたとき、自分が実践したい家庭医療のかたちをそのまま体現している診療所は、当時まだありませんでした。「それなら、自分でつくってみよう」と思ったんです。外来も在宅も、子どもから高齢者まで幅広く診ていく。チャレンジングではありましたが、必ず実現したいと思いました。
ただ、すぐに京都へ戻るのは難しく、まずは兵庫・西宮に拠点を移し、尼崎医療生協病院の関連施設である「ナニワ診療所」で2年間、所長を務めました。診療に加えて、家庭医療専門医養成プログラムの指導医として専攻医の指導にも関わり、家庭医療を「伝える側」としての経験も積ませていただきました。また、尼崎という地域で、さまざまな社会的背景を抱えた患者さんと向き合いながら、在宅医療にも深く関わることができました。
2015年に京都へ戻ってからは、複数の医療機関で診療に携わりながら開業の準備を進め、2016年10月、「岩倉駅前たはらクリニック」を開業しました。
 
岩倉駅前たはらクリニック。「左京区を選んだのは、開業前に大学時代の先輩が運営する、おくだ在宅クリニックで働かせてもらった経験が大きかったです」と話す田原院長。地域での土地勘や多職種の方とのつながりが少しずつ広がる中で、「ここで医療をやっていくのはいいかもしれない」と感じるようになったといいます。
岩倉駅前たはらクリニック。「左京区を選んだのは、開業前に大学時代の先輩が運営する、おくだ在宅クリニックで働かせてもらった経験が大きかったです」と話す田原院長。地域での土地勘や多職種の方とのつながりが少しずつ広がる中で、「ここで医療をやっていくのはいいかもしれない」と感じるようになったといいます。
 
 
開業当初は、「ここでは何をしてもらえるのか」と、家庭医療の役割を理解していただくまでに少し時間がかかりました。それでも徐々に患者さんが増え、地域に受け入れていただけるようになっていきました。 2020年には、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が始まりました。診療所の拡張と時期が重なったこともあり、発熱外来を立ち上げ、できる限り患者さんを受け入れられる体制を整えました。在宅療養中のコロナ患者さんへの対応にも関る中で、「地域で支える医療」をあらためて見つめ直すことができました。 また、ご縁があって小児科専門医の先生方に加わっていただいたほか、2018年頃からは学生実習の受け入れも始め、少しずつ体制を広げてきました。現在は大学とも連携しながら、「教育診療所」として家庭医療・総合診療の実践を次の世代に伝えていくことにも力を入れています。
2025年からは専攻医の受け入れも開始。武田総合病院から𠮷田沙織先生を約半年間お迎えし、地域に根ざした診療の中で、ともに学びを重ねました。
2025年からは専攻医の受け入れも開始。武田総合病院から𠮷田沙織先生を約半年間お迎えし、地域に根ざした診療の中で、ともに学びを重ねました。
 
 
ーー 一緒に働く医師も増え、教育診療所としての役割も広がってきている岩倉駅前たはらクリニックですが、その特徴や、医師にとってどのような魅力や学びのある環境か教えていただけますか。
 
まず、家庭医が継続的に診療してきた環境があることです。家庭医療や総合診療を学んできた方が、その力をそのまま活かして実践できる土台が整っています。看護師や受付スタッフも家庭医療の視点をもち、患者さんの背景に寄り添いながらケアを実践しています。
次に、診療の幅広さです。救急から慢性疾患まで、内科にとどまらず、子どもから高齢者まで幅広く診ています。外来だけでなく在宅医療にも関わり、地域の多職種との連携も日常的に行っています。「その人をまるごと診る医療」を実践できる環境だと思います。
また、小児科専門医の非常勤医師も在籍しており、そのうちお一人はアレルギー専門医としての専門性もおもちです。そのため、小児領域も含めて、診療の幅をさらに広げることができます。加えて、医学生や専攻医の受け入れも行っているので、医学教育・指導に関わりたい方にとっても学びの多い場になっているのではないでしょうか。
岩倉という地域の魅力も大きいです。子どもから高齢者まで幅広い世代が暮らしているほか、大学生や海外の方も多く、多様な背景をもつ患者さんと出会うことができます。そうした環境で診療すること自体が、家庭医としての経験を深めてくれると感じています。
家庭医療や総合診療を学んできた方が、その力をしっかり発揮できる環境がある。10年をかけて、その土台を築いてきましたし、これからも磨き続けていきたいと思っています。
 
診療所内観(待合室)
診療所内観(待合室)
診療所内観(診察室)
診療所内観(診察室)
京都市左京区にある岩倉は、比叡山のふもとに広がる閑静な住宅街。豊かな緑とともに穏やかな時間が流れています。
京都市左京区にある岩倉は、比叡山のふもとに広がる閑静な住宅街。豊かな緑とともに穏やかな時間が流れています。
 
 

「滋味深い」ケアを、地域で育て、未来へつなぐ

ーー 日々大切にされていることや、これから目指していきたい家庭医療のあり方、今後の展望について教えてください。
 
私が大切にしているのは、家庭医として、その方やご家族の幸せに貢献する、という視点です。生物医学的な診断のみでなく、患者さんの想いや社会背景をも考慮に入れて診療することを日々積み重ねています。
継続して診療を行うことで、患者さんとの関係性が少しずつ深まり、心が通ったと感じられるときに、とても嬉しく感じます。小さな頃から診ていたお子さんが成長していく姿を見せてくれたり、「自転車に乗れるようになったよ」と報告してくれたりする。ご家族のこれまでの歩みを知っているからこそ、その一つひとつがより深く感じられます。
そうした関係性は、日々の出来事や健康の問題、家族のあり方などが重なりながら、時間とともに積み重なっていきます。一瞬のやりとりだけではなく、長い時間をかけて育まれていく、味わいのある関係性です。
その積み重ねは、次の医療にもつながります。その方をよく知っているからこそ、「この方にはこの選択が合っているのではないか」と、よりその人に寄り添った提案ができる。それがこの仕事の面白さであり、やりがいでもあります。
私は、そうした家庭医療の魅力を「滋味深い」と表現しています。時間をかけてゆっくりと丹念に作られていく奥深い味わいというイメージです。患者さんやご家族との時間が少しずつ積み重なり、その関係性が診療の深みになっていく。そこに、家庭医ならではの喜びがあると感じています。
家庭医の診療所が地域にあることで、人びとが安心して暮らせる。それが、地域の幸福にもつながっていけばと思っています。私たちの医療は暮らしの中のほんの一部ですが、その一部を支える存在であり続けたいと考えています。
身近に「困ったときに気軽になんでも相談できる家庭医がいる」と思ってもらえたらうれしいです。実際に、「何かあったら先生のところに行きます」と言っていただいたり、「先生の専門じゃないかもしれないけれど…」と相談していただけることがあります。そう言っていただけると、私はとてもうれしく感じます。
「この人に聞いてみよう」と思ってもらえる存在であり続けること。これからも、地域の中でそんな役割を果たしていける診療所でありたいです。
 
ーー 最後に、家庭医療や総合診療に興味をもつ先生方へ向けて、メッセージをお願いします。
 
私は、この診療所を通して、家庭医療や総合診療の価値を社会に示していきたいと考えています。家庭医療は、本や言葉だけではなかなか伝わらないものだからこそ、実際の現場で、その手触りを感じてもらいたい。患者さんにとっても、医療者にとっても、そんな場所をこれからもつくっていきたいと思っています。
診療所での医療を楽しみながら、前向きに取り組める方々と一緒に、その未来をつくっていけたらうれしいです。
一歩一歩をともに重ねながら、その先の景色を分かち合える仲間と出会えることを、心から楽しみにしています。
◆ 田原 正夫(たはら・まさお)
京都府出身。1997年に医師免許取得後、京都大学医学部附属病院内科にて研修を開始。2001年より大阪赤十字病院にて呼吸器内科医として勤務する。2008年より岡山・奈義ファミリークリニックで家庭医療を学び、地域に根ざした医療の実践を重ねる。2013年より兵庫・ナニワ診療所の所長として地域医療に従事。2016年10月、「岩倉駅前たはらクリニック」を開院し、院長に就任。地域をケアする家庭医診療所として、地域社会を支え続けている。
 
取材・文=河村由実子
企画・ディレクション=株式会社DTG
 
岩倉駅前たはらクリニックでは医師募集中です
柔軟な働き方ができて、京都駅から30分という好立地。
京都駅からクリニックのアクセスマップ
 

関連記事

※当院について院長とゲストが話している記事を公開しています

関連情報

 
 

岩倉駅前たはらクリニック